帰国

 

ランスへの旅行から帰って来ました。

帰国して一番に会ったのが家族ではなく、恋人とそのバンド友達、次におばあちゃん、おじいちゃん、そして猫。そこからしばらくしてやっと母。

ずっと会いたかった。

夏休みも残すところはあと二週間となり、今までのことが嘘のように予定がすっからかんですが、それでも自分のやるべきことは沢山あるのでこなしていきたいと思います。

まず教務学生部に行こう、そして眼科に行こう。

あとはハイダッシュに車校を進める。教務学生ブに行く前にお金振り込みに行こう。勉強することはまず意識から変える。

でもそんなことは中学生の時からずっと言ってる。なんだか無条件に自ずからやらなくていいことのような、当たり前に考えすぎて怠っているような気がしてならない。毎日の積み重ねがなければなんの財産にもなれない。

 

財産と言って、不意に思い出したけど

フランスでは美術館を巡ったり、街並みをあるくだけでも沢山の芸術品に出会った。一つ一つがその命の結晶なんだろうな。目の前にあるだけで心が物理的に存在するのなら震えるような気がした。体は鳥肌がたって寒気がして気持ち悪かった。それだけの心を発散している作品がわんさかあるルーブルやオルセーに行った時はここはどんな状況下なんだと笑みが出た。とてもワクワクした。

芸術品も建造物も歴史も人が紡いできたことを体感してきた。ここにいるならばそれは当たり前のことだけど、知っていることと体感することは違うと思う。

一つの体でも心も身体も頭も魂もバラバラで、頭は知っていてもどこかの部位が知らないことはざらにあると考えてる。魂を感じるのはなんだか遠いけれど、身体はここにある。頭と心はたまにごっちゃごちゃになって自分でもよくわからないことになるけれど、それは身体と頭が一緒になれてないことが悪い気がする。考えすぎてバランスが悪いんだ。頭では繊細な感覚はとれないし、それ同士の神経みたいなものが繋がってないのは、人としてありがちだけど悲しい姿のような気がする。一度閉じてしまった扉だけど、だからこそ仕方ないのかな。

 

仕方ないことは大半が諦めだし、諦めは世界の果てで、世界の果てにはその事柄の死が近いことを最近学んだのでまだ頑張ろうと思う。

確かに努力は積み重ねるほど、小さな変化でも重ねるほど、その事実を見せてくれてるから。まだ諦めない。

 

フランスへ行ったことは私の一生の財産へと化していくけど、ブログへは気が向いたら書きます。

もしかしたら一生書かないかもしれないから何か記しておくとしたら、とても綺麗な街なみで、綺麗な人たちがいて、素敵な文化だけど、その裏にはとても血なまぐさい歴史があり、人の心の様々な葛藤や喜びなどが強く跡を残しているのだなと思いました。