悲しい心

悲しいことがあっても、辛い気持ちがあっても、それが私一人の心に生まれてしまったものなら、なんとなく触れない。
あるのに、触れられない、その悲しみがぼんやりと浮かぶ場所に隠すようになった。
ぼんやりと浮かんだのは、やっぱりどうしても自分の心はごまかせなかったからだろうからなのかな。

世は私一人の悲しみなんか求めてない。
求められてないものならいらない。
私一人悲しみに暮れるなら、もっと何か与えたい…って多分思ってた。

私は求められていない。
だけど、与えられて生きてきてる。
私だって与えたい。恩返ししきれなくてもしたいから、与えることでぶちまけたい。

生きたいって気持ちなのかな。
自分の人生を

色んなことがあるから、何をしても色んなことにすぐ飽きるけど
自分が生きることには飽きない。
飽きたら終わるから、
自分の生きることがより豊かになる、楽しくなることなら飽きない。ずっと。
だけどそれは私のなかでは、世間一般的な趣味とは違う。
人として生きること、当たり前に生きること、より高みを目指して生きること、それが楽しい。

皮肉な社会でも、それを恨む気持ちがあっても、大切な人と生きる時間が楽しい。

心がより生きることを望むから、もっと力が増していく。

真逆にむかっていた心が、軋んで、巻き戻って、前にむかおうとする。

生きることを受けいれた心はこんなに強い。

もっと生きる。
明日から、今から、
人として、命あるものとして、心を震わせてもっと生きる。

生きて、生きて、生き続ける。