一緒に

足並みそろえて頑張ってるんじゃない。
いつも否定されて、敵にされて、対局の人とされる。
どんな言葉も響かない。私の気持ちが伝わらない。
心が複雑な構造をしていて、私の放った言葉が屈折に屈折して、何故かそういう風にとられてしまう。
それとも私の言葉がおかしいのかな。
主語なかったり、雰囲気に任せて言葉を放つからかな。いい雰囲気でもいつも機嫌がごろっと変わる。
言葉に対しての先入観やイメージがあるんだろうな。
いつも平気を装ってそばにいても、一緒にいたはずなのに、何かのはずみですぐ私を敵と認識する。
そうさせる私がいるんだろうなって罪悪感と悲しみとで心が崩壊しそう。

わたしの

苦しみは、悲しみは、わたししか知らない。

わたしの覚悟は、決まりは、それを知ってる私が分かっていればいい。

ヒネクレは言葉にするほどくだらない。
くだらないけど、一歩引き下がることが出来るなら、言葉にしてもいいな。

人の心のなかには、善と悪が一緒になってると思う。

不思議なくらい、一人の人間にいろんな顔があると思う。
それが人間らしくて、美しくて、不思議で、愛しさを覚えるんだと思う。

綺麗なものばかりが美しいんじゃない。
綺麗なものの陰には、必ず綺麗を綺麗とさせる存在がある。
全てを愛したい。私は知りたい。
もう心を殺したくない。死にたくない。人の顔色を伺いたくない。そんなの違う。私の考えが否定されるなら、否定され続けたまま生きなきゃならないなら、私は死んだのと同じだから、自分の考えたやり方で自分の人生を生きなきゃ、私の人生が死ぬから、死にたくない。

コジラセ系女子という言葉を覚えました。

あー、私ってこじらせてるわ。とじわっと思いました。

自分がこじらせてんなぁ…と感じることはピュアな人たちに囲まれている日常のなかではよくあるのですが、まさか名称されていただなんて(笑)

私だって好きでこじってこじこじしてるわけじゃないんですけど、一度こじらせるとなかなか戻りたくても戻れません。
心が弱いのかな。

でも自分がこじらせてるなって気づく環境に囲まれてるのは、ありがたいな。
そうじゃなきゃ気付けなかったと思う。

こじらせを真っ直ぐに正したいな。
うぅ…、できるかなぁ。

青い空が見たいぜ⭐️